修羅の刻 十五

ちょっと遅れましたがやっと修羅の刻十五巻を買ってきました。

修羅の刻(15) (講談社コミックス月刊マガジン)

修羅の刻(15) (講談社コミックス月刊マガジン)

連載のときは「女陸奥(;´Д`)ハアハア」くらいの感想しか無かったのですけれど、こうして単行本になったのを読むとまた印象が違いますね。
こんなに美しいラブストーリーだったとは。ちょっと感動。
僕ならこういう愛情表現はとらないし―むしろ間違っていると思うし―世間的にも外れた愛情の表現だとは思うのですが、それで幸せだったかどうかは当事者が決める事ですしね。彼らにとってはこれが至上の愛情表現だったのでしょうね。


愛情、といってもいわゆる一般的な男女の愛情ではなく、武道家同士としての関係の発展のような関係で、といって男女の関係とは決して無関係なわけではないという入り組んだ感情であり、そこが話のもう一つの軸になっています。
彼らの関係はプラトニックで美しく、しかしある意味では因習、運命、立場等によりがんじがらめになった歪んだ関係であるとも言えるでしょう。


陸奥兵衛というキャラが登場しますが、彼は母親と雷電のために人生が歪められている人間です。このような事は現在の道徳では許されない事で、読みながらやはり違和感を感じたりもしました。
しかし時代背景や個人の考え方がありますからね。それが不幸かどうかはやはり本人が決める事なわけで。
周囲によってがちがちに決められたルールの範囲内で自分を探す、と言うのもそれはそれでありかなと思います。僕なら絶対にごめんですけど。



余談ではありますがこういう
「他人から見ると不幸だけど本人にとってはそれが幸せ」
という話は僕のツボの一つです。
CLAMP先生に毒されすぎました(笑)


本作品は江戸時代を舞台にしてはいますが、江戸の風俗についてはほとんど触れられていません。一見すると相撲取「雷電」というキャラクターを出す事以外には舞台設定に特に意味がないようにも感じられます。しかし恋愛関係という視点で見るとやはり江戸時代
(というか古い「日本文化」が成立してから明治維新まで)
でしか成立し得ない物語なのかな、という感じがしました。


最後に気になった点を。
全体的にキャラクターの描写が薄いかな、という気もしました。
しかしそのおかげで逆にテーマが浮き彫りになっている感じもしますし
余計な描写がない事によって日本的な、「和」な印象も受けます。
(この辺はボキャブラリが貧困なので上手く言えないのですが端麗で清純な印象とでも言いましょうか)
これを読んで「描写が不足だ」と思ったのは私の読者としての理解力が貧困なのせいなのかな、とも思ってみたり。


それから気になった点は雷電の年齢ですかね。
享年五十九歳というのは・・・
五十九歳だとさすがに「衰えるどころかなお強く」ってのは無理でしょう(笑)
約束が、とか意志の力が、とかドラマとしてはギリギリ有りの展開ですけどもやはり僕らは「修羅の刻」にはある程度のリアルさを求めてしまうわけで(笑)
特に格闘についてはそうですね。
(いや、こんな話荒唐無稽で全然リアルじゃないとは解ってはいるんですよ!
しかしこの辺の「もっともらしい嘘の線引き」のラインがこの作品は非常にデリケートな訳で)
まあ、面白かったから別にいいですけどね(笑)



今日の結論としてはですねえ。
愛情は美しくて多少歪んでいるくらいが良いと。
百合とかね(笑)



追記:そうそう、父親問題について書くのを忘れていましたね。
これについては…いろいろ想像するのが楽しいですね。
どう取るかによって途中からはほとんどの台詞、展開の意味が変わってきますし。
結論は無いみたいですがそれで充分。
どちらにしても美しくて、面白い物語だと思います。