長くて本当、すみません。反省してます

友人とアニメの話しをしていて口論になりました。
少し考える事があったので

ここで改めて自分のためにも真田のアニメを見るスタンスについて書いておきます。

ひまがあれば読んでみてください



そもそも真田はアニメの見方について他人から

「歪んでいる」だとか「片寄っている」と言われることが多いです。



真田がアニメを見るときに一番大切にしていることは

「たまたまアニメーションで表現されている作品を作品として楽しむ」

ことではなくて

「わざわざアニメーション表現を用いて作られた作品の表現を楽しむ」

ということです。

この段階で歪んでいるというのならそれまでですが

わざわざアニオタをやって、好んでアニメを見ている人間にとっては

ごく自然な行為だと思います。

別にアニメじゃなくてもコミックや実写ドラマでできるようなものなら

アニオタとしては見る気がおきませんし。



必然的に真田がアニメを評価するポイントは

1、アニメーション表現を使ってやりたいことを送り手側がどのくらい自覚的に行っているか

(アニメを使って何をしたいのかがどれだけフィルムから伝わってくるか)

2、1の項目の「やりたいこと」がどのくらい実現されているか

この2点に集約されてくるわけです。



別に上記2点は高尚な事に限った話ではなくて

例えば「アニメ絵のかわいい女の子が描きたい」

「かわいく描けた(・∀・)!!」

でかまわないわけです。

そういう点で真田はポイントがわかりやすい

美少女アニメ」というジャンルが大好きです。

上に「コミックやドラマでできるようなものなら」

と書きましたが

「あえてアニメーションでコミックや実写に近い表現を試みる」

なんて物でも構いません



真田が押井守作品を

「糞つまんねー」

と言いながらも大好きなのは

押井作品が「映画」という表現方法について自覚的であることと

「アニメ表現」について自覚的であること、

そしてそれを実現する高いスキルを持ったスタッフが

そろっているケースが多いからです。



さらに言うと、真田は

「人間の体を表現する」というアニメーション表現のテーマが

大のお気に入りであり

(「アニメでしか表現できないかわいらしい女の子表現」というテーマに匹敵する)

押井作品はそのテーマについて扱う事が多いからです。



「人間の肉」をアニメで表現する事にこだわり

見事にスタッフがそれに応えた「攻殻機動隊」や

CGという新しいツールを使う事によって

アニメーション特有の表現を実写映画でもできる事を

検証しようとした「アヴァロン」

人形をモチーフにして新しい視点から

「体」を表現しようとした「イノセンス



どれも真田好みのテーマを扱った作品です。

(余談ではありますが

人間の「生」をアニメで表現するにはという事を考え

それは「声」しかないと割り切り、

さらに生を求めて演劇や実写に傾倒していった

庵野さんは真田の大好きなクリエイターです。

テーマを実現する力、技術力がまた素晴らしい。

そしてアニメーション表現について極めて自覚的なアニメ作家です)



しかしエンターテイメント作品として押井作品を評価すると

(押井さんにエンターテイメント作品を作る気があるのかどうかは知りませんが)

これはもう

(少なくとも真田的には)

ぶっちぎりで不合格なわけです。

なんで不合格かは今回は関係ないし

見ればわかると思うので書きません。



で、押井作品の感想を言うときに

「最高の出来だったが糞つまんねー。ウンコ。DVDは買い。」

とか言ったりすると怒られるわけですね。

「なぜ素直に評価できないのだ」とか

「素直に一本の映画としての出来を探る事が本道だ」

とか。



別にひねくれているわけではなくて、

真田はアニメ表現としての出来も

エンタメ映画としての出来も無視できないだけなのですね。

なぜなら真田は映画ファンでもあるので。



つまり何が言いたいのかというと

物事は単純な一側面だけ見て評価するのはどうかと思う

ということと

別にひねくれた見方をしているわけでも特殊な見方をしているわけでもない

という事です。



以上の点を理解していただけると

真田がなぜ普段GONZO作品の悪口をあれだけ言いながら

高く評価しているのかもわかってもらえると思います。

言いたい事は以上。